子宮全摘を控えた独身子なしアラフォーのブログ

女だけど子宮いらない〜全摘でQOL爆上がりしました〜

子宮筋腫(粘膜下筋腫)で過多月経&貧血に苦しみ、ようやく子宮全摘を勝ち取った独身子なしアラフォー会社員のブログです。

もし不治の病や余命を宣告されたら?

実は私、死亡保険には入っていません。独身だし扶養家族もいないし。
私がいないと生活が成り立たなくなる人がいないので、入る必要はないと思っています。
では死ぬまでの間の病気についてはどうか。大病が発覚した場合、たくさんお金をかけて治療するべきなのかは悩ましいのが本音です。医療保険でまかないきれないくらいになってしまった場合とかね。
先に書いた通り、私がいなくなっても生活に困る人はいません。家族と離れての生活も20年以上になりました。仮に私が死んだとして、家族は悲しむことは悲しむと思います。ですが再起不能に陥るほど悲しみに暮れることはまずないでしょう。そのうち事実を受け入れて元の生活に戻るはずです。

ということは、私が大きな病気や余命を宣告された場合、中途半端に預貯金を切り崩して生活を切り詰めて手術や入院などの治療をするよりも、まだ体が思う通りに動くうちに思いっきり旅行でもした方が思い残すことなく死ねるんじゃないかな、と思ってしまうんですよね。治療にお金をかけて、手術や投薬でボロボロになってお金もなくなってからだと自力ではどこにも行けないので。
で、思いっきり旅行でもして気が済んだら後はどうするか。正直に言うと、日本でも安楽死が認められればいいのにと思ってます。何年何月何日に私は安楽死で旅立ちますと決めて、それまでの間に思い残すことがないように遊んでおいて、その後は身辺整理をしておく。
安楽死が認められている国の取材映像で、家族や友達を呼んで最後のパーティーをしている場面がありました。これから旅立つ本人はとっても幸せそうでした。ああいうのが理想なんだけどなあ。
自ら命を絶つ人たちも、何も好き好んで線路に飛び込んだり高い所から飛び降りたりしているんじゃないと思うんですよね。日本だと死にたい人が確実に死にたいと思ったら、そういう物騒な方法を選ぶしかないから。

私が書いたことをとんでもないと思う人もいるでしょう。考え方は人それぞれです。
日本人の方で安楽死を決めて家族を伴って渡航までしたけど、直前でやめたというドキュメンタリー番組もあったように思います。それはそれでいいんですよね。同伴した家族も全く納得していない様子でしたし。
私の場合、両親はもう高齢ですし英語も全然話せないので、こういう場合は立ち会いで来て欲しいと実は姉に話してあります。姉もなんとなくこの世の生きづらさを感じているタイプなので、きっと反対はしないかなと。

治療も人生の終わりも、自分がいちばん納得できる形で決められるといいですね。