実は能登で被災してました(帰ってきてます)
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
久々更新なのはいつものことですが、実は石川県内のとある温泉地で被災しておりました。
津波警報による高台避難、一時的な避難所滞在を経て、どうにか自宅に戻れております。
まさか元旦にあんな災害が起こるとは…
東日本大震災の時は震度5強の地域にいたので、それよりも強い揺れを経験したのは初めてでした。本当に何もできません。ただ揺れに翻弄されるだけ。うずくまる自分の近くに容赦なく倒れかかってくる家具。旅館の建物自体は踏みとどまりましたが、部屋が大変なことになりました。
本震からまもなく津波警報が出たので、そのまま高台へ。そこから避難所へ。
何やかやあって車で金沢まで出ることができ、金沢での1泊を挟んで自宅に帰ってくることができました。
避難所でのことですが、断水していてトイレが流れませんでした。当然、トイレの後に手も洗えません。衛生状態が心配な状況だと思いました。
やっぱり思うのは、避難生活の中で生理が来てしまう、あるいは生理中に避難を余儀なくされる女性たちのことです。
私が避難所にいた間にも「生理用品が届きました」というアナウンスがなされていました。生理用品を替えることができなければ、座ることも横になることもままなりませんよね。被災の際には清潔な生理用品はいち早く必要なものだと思います。経血をさっぱりと拭き取るために、赤ちゃんのお尻ふきのようなものもあるとさらに有難いのではないでしょうか。
私自身はもう子宮がないので、生理の心配はまったくありません。なので温泉旅行も好きなタイミングでし放題なのですが…
今回の地震では旅館の部屋で倒れた家具により、テーブルに置いてあったピルケースが下敷きになり破損しました。美味しいものをたくさん食べて美味しいお酒をたくさん飲むつもりだったので胃腸薬や二日酔いに効くサプリなどを入れていたのですが、ピルケースの破損により中身が飛散したり粉々に潰れたりしておじゃんになりました。つまり、私にまだ子宮があり、日常的にピルを飲んでいる状況だったら、ピルを持って避難することができなかったということになります。となると、避難して3日後には出血開始です。決して他人事ではなかったのだと思います。
災害支援や備蓄の現場では生理用品が重要視されていない、後回しという声も聞くことがあります。私が勤めている会社も例外ではありません。
清潔を保たなければ感染症のおそれがある、出血したままでは十分に休むことができないなど、生理中はより気をつけなければならない多くのことがあると理解していただければと思います。
もし不治の病や余命を宣告されたら?
実は私、死亡保険には入っていません。独身だし扶養家族もいないし。
私がいないと生活が成り立たなくなる人がいないので、入る必要はないと思っています。
では死ぬまでの間の病気についてはどうか。大病が発覚した場合、たくさんお金をかけて治療するべきなのかは悩ましいのが本音です。医療保険でまかないきれないくらいになってしまった場合とかね。
先に書いた通り、私がいなくなっても生活に困る人はいません。家族と離れての生活も20年以上になりました。仮に私が死んだとして、家族は悲しむことは悲しむと思います。ですが再起不能に陥るほど悲しみに暮れることはまずないでしょう。そのうち事実を受け入れて元の生活に戻るはずです。
ということは、私が大きな病気や余命を宣告された場合、中途半端に預貯金を切り崩して生活を切り詰めて手術や入院などの治療をするよりも、まだ体が思う通りに動くうちに思いっきり旅行でもした方が思い残すことなく死ねるんじゃないかな、と思ってしまうんですよね。治療にお金をかけて、手術や投薬でボロボロになってお金もなくなってからだと自力ではどこにも行けないので。
で、思いっきり旅行でもして気が済んだら後はどうするか。正直に言うと、日本でも安楽死が認められればいいのにと思ってます。何年何月何日に私は安楽死で旅立ちますと決めて、それまでの間に思い残すことがないように遊んでおいて、その後は身辺整理をしておく。
安楽死が認められている国の取材映像で、家族や友達を呼んで最後のパーティーをしている場面がありました。これから旅立つ本人はとっても幸せそうでした。ああいうのが理想なんだけどなあ。
自ら命を絶つ人たちも、何も好き好んで線路に飛び込んだり高い所から飛び降りたりしているんじゃないと思うんですよね。日本だと死にたい人が確実に死にたいと思ったら、そういう物騒な方法を選ぶしかないから。
私が書いたことをとんでもないと思う人もいるでしょう。考え方は人それぞれです。
日本人の方で安楽死を決めて家族を伴って渡航までしたけど、直前でやめたというドキュメンタリー番組もあったように思います。それはそれでいいんですよね。同伴した家族も全く納得していない様子でしたし。
私の場合、両親はもう高齢ですし英語も全然話せないので、こういう場合は立ち会いで来て欲しいと実は姉に話してあります。姉もなんとなくこの世の生きづらさを感じているタイプなので、きっと反対はしないかなと。
治療も人生の終わりも、自分がいちばん納得できる形で決められるといいですね。
ブログタイトル変更しました
ブログタイトルを「女だけど子宮いらない〜全摘でQOL爆上がりしました〜」に変更しました。
立ち上げた時はまだ「全摘希望」で、全摘が叶ってタイトルに「人生を取り戻した」と入れ、全摘から2年以上経った今、私と同じように「子宮いらない」と思っている方に少しでも何か届けばいいなと思い、改めてタイトルの変更に至りました。
「女だけど」って付けるのはおかしな感じもしますけどね。どちらかというと女=産む機械みたいな世間の見方というか。
「子宮いらない」と思っている女性ってマイノリティーなんでしょうか?私はそうは思いません。むしろマジョリティーではないかとすら思います。「子宮いらない」じゃないまでも「生理いらない」「生理なんかなければいいのに」と人生で一度も思ったことのない女性の方が少ないんじゃないでしょうか。何日も股から血が出続けるなんて鬱陶しいものでしかないですし。昔の人は溜めといてトイレでまとめて出せた?都市伝説都市伝説w
私は運良くギリギリ死なない程度(輸血しなければ死んでましたぐらいのギリギリです)の疾患で全摘できてQOL爆上がり人生やり直し状態ですが、女=産む機械が根付いたこの世の中で子宮全摘したいと願ってもなかなか叶わないハードルの高さは以下の記事にも書いています。
産みたい人は産み育てやすい世の中になればいいし、同時に産みたくない人がそのせいで不利益な扱いを受けない世の中にもなって欲しいと思います。
子なしって結局女性活躍のテーブルにも乗れなくて、求められる働き方が悪しき昭和の24時間戦えますかみたいな働き方なんですよねーハァ