子宮をいらないと言う権利、取る権利
人それぞれ色々な価値観、考え方があります。私は人生計画から出産を除外して以降、ずっと子宮を取りたいと考えてきました。以下はそのような考えの持ち主による記事であることをご了承ください。
こちらの記事にも書きましたが、子宮を取りたいと思ったところで実際に取れるかというと、ハードルは非常に高いです。
そして書いた通り、私の性自認は体の性別と同じ女性です。でも子宮はいらなかったんです。産まないので。産まないなら生理がうっとおしいだけなので。
この考えは、「女性に生まれし者、誰しも愛する人の子を産む願望がある」と信じてやまない部類の方から信じられないといった反応をされることがあります。あなたはあなた、私は私なので信じなくても結構なのですが、押し付けないでほしいんですね…女なら出産を望むべき、そのためには生理も必要…そういう人もいるでしょう、でも私は望まないし不要です。
こういうモヤモヤって他にも抱えている人がいるのではないか、と思っていたところ、こちらのブログに行きつきました。
私が感じていたモヤモヤはこれだ、と思うことばかりでした。
多様性の尊重が叫ばれる昨今、「産まない女性」に対する風当たりはまだまだ強いです。多様性の議論のテーブルに乗せられることすらありません。女性活躍は子持ち前提。子無し女性はそのサポート。
手術説明を受けた時の図解。いよいよだ、と期待が高まったのを覚えています。
子宮を取ったら取ったで、それを大っぴらに喜ぶこともできないのですよ。病気があったのでそれを取っただけなのですが…よかったねと言われるどころか「産む性」の押し付けにこちらが気を遣わなければいけない状況、やれやれです。
私はトランスジェンダーですとでも言えばいいのかな?そうすれば多様性議論のテーブルに乗っかれて、苦痛だった子宮とおさらばできました!それはよかった!これからはあなたらしく過ごせるね!ってなるのかな?上辺だけ多様性尊重してます!とか言うだけの人はそれくらいじゃないと心が動かないのかもしれませんね。